今自由かどうかは自分の捉え方次第

受け入れる

こんにちは。公太です。

今日のテーマは『自由です』
そしてその楽な捉え方について話します。



突然ですが今、あなたはどれくらい自由ですか?!

私はかなり自由にさせてもらってます。
自由を得るとは中々難しいものだし、人生の永遠の課題のような気がするのは私だけでしょうか。

分かったような気がしながらも、不自由に苦しむを地獄を繰り返しちゃう。

私はWorld Venturesの旅行でかなり「自由押し」をしてますが、誰でも自由について、悩んだり考えたりなど一度は有ると思います。
私も昔その一人で、昔は嫌なことが膨れるたびに考えたり、すがるように、答えを求め本を読み漁ったりしました。

完全に上手くいってるとは言えなけれど、あっち行ったり、こっち行ったりしながら最近は大分飲み込んで、楽に生きられるようになったので、着々と良い方向に来れてます。


アドラー心理学がヒットし、多くの人が自由への捉え方は頭で理解できても、現実で「実践」というとうまくいかないのが現実なところもあると思います。

今日は哲学旅行好きの私が、「自由」についてゼロから考え直した結果、
更に腑に落とすような答えが出たのでその考え方を書くことにしました。

その答えが、中々苦しい所から抜けられない人の助けになって、
今よりもっと楽しく毎日を過ごせればと思います。


では!どうぞ(・ω・)ノ

文字による自由の意味と私の解釈

まず、自由と言えば何?と言われて単純に浮かぶことってなんでしょう?

私は自分の好きなことする!とか
何にも気にせず好きなことができるのが自由!
がちょっと前までの答えでした。


でも今は、

心が自分の手にある状態。

ちなみにウィキペディアによると自由とは

自由(じゆう)とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていることをいう。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

こんな感じで載ってます。

今回、この文章後半の文章である「 自らの意思や本性に従っていることをいう。 」が気になったので、
そこについて私が考えた結果、


自由とは、どんな環境に居ようが、自分の心が保たれている状態。



今までの私の印象だと、意思や行動を制限されてないのが自由。
そして、逆の不自由が意思や行動が制限されることって考えだったんですよね。
意思や行動と行動の両方が重なってるイメージ。

例えば、会社。
定時で帰れない。残業で帰れない。自分の仕事は終わってるけど確認が取れてないから追われない。
給料の交渉が通らない。自分ではいい!と思った提案が通らない。

プライベートだと、子供が言うことを聞いてくれない。バスや電車で待たされる(車だったらなぁ的な)、
遊園地や飲食店の長蛇の列に並ぶ、自己破産してお金が借りられないとかもありますね。

まぁ、考えれば山のようにいくらでも出てきます。

で、何ですけど。
これって言わば、この後に続く

『あ~!何で俺が待たなきゃ行けないんだよ~!』とか
『何あいつ車ぶつけてんだよぉぉぉぉぉおおおお!進まないやんきぃええええ!』
『なんであんなに人並んでんだよおおおおおあ!』『これ待つわけ?!』

状態にってそれでイライラする。

でもさっきの、ウィキさんの文字から考えると。

「 自らの意思や本性に従っていることをいう。 」 ...

「 自らの意思や本性に従っていることをいう。 」 ...

「 自らの意思や本性に従っていることをいう。 」 ...(しつこい)

分かります?

え?

分からない?

つまりさっきの例での後半部分。
待たなきゃいけないの~?、とか、待つわけ~?の部分にあたる、『不快な自分の意思 』に従っていないから。
もう少し崩して言うと、
「嫌だわ~」って思った自分を「受け入れてない」


「嫌だわ~」 って思ったのは事実だし、実はこれ、「 自由 」にあなたが思ったこと


お~ my godああああ~

これ自由の定義に完全合ってるやん(´Д⊂ヽと思ったわけですよ。
だって、渋滞だったらその渋滞に従うことを、心の片隅で決めてますよね?認識してないだけで。(仕方ないけど)

でも、実際受け入れてそうで、受け入れてないまま進むからイライラするんですよ。


だ・か・ら、旅行や遊びで
好きな所に行く、好きな食べ物を食べる、好きな時間に好きな人と行く、が自由と感じる。
見事に自分の意思に従ってるから当然のごとく気持ちいい。

そう考えるとどんなに苦痛でも、自分の意思さえ受け入れられれば自由ってことになりません?
例えば、狭い牢獄に居ようが、臭い監獄にいようが、ブラック会社に居ようが

『私は、私の意思でここに来ている』とか『悪いことした結果だ』って思えば
嘘みたいだけどほんとの自由だし、


上司に理不尽なこと言われたり、誰かと喧嘩したとしても、
『あぁ、この人は余裕がないから、少し落ち着くまでこっちが話を聞いてあげよう』って心の底から思えば
途端に、イライラしそうなことも意外と、自分にとって自由になる。

だって 自らの意思にちゃんと従っているだもの。

目に見えるものに引っ張られると簡単に自由を失う

とは言え、人間理性だけじゃないので、そんなことが分かってもうまくいかないのは私も承知してるし、
何回も意味付け的なものは試してきました。

いい意味付けしようとするも、結局耐えきれず完敗。
上司の理不尽は話に

『うんうん、この人はしょうがないんだ(´∀`*)ウフフ』ってやってても
あまりに相手の口が過ぎてくると最後裏では、


『はああああっ!あいつ何言ってんのぉぉぉぉおお?!、バッカじゃねえぇエエ??』

って感じではらわた煮えくり返ってましたww
何回かはうまくいったんですけど、修業が足りなかったんですねw


後は、このやり方は流石にないなぁって仕事してるとよくあるじゃないですか?
そんな空模様の時に、これは言い返そうと心では思ってるんだけど、威圧感が凄すぎて結局言えないとか。

もうね、ほんと雑魚な話ではずかしいんですけどね。

つまりこれは、分かっていても目の前の事や、特に直接的な、罵声のような悪いことには負けやすいってことです。
目に見えるものに「ひぃイイ!こわいッ!(´Д⊂ヽ」って簡単に反応しちゃうとでも言うのか。

例えば、むかつく様なことじゃなくても

目の前に、ちょっと自分好みの異性が現れて『おっ?』ってと反応して釣られたように思わず話し込むとか、
お酒を飲んで盛り上がった雰囲気に飲まれたまま終電を逃すとか。


大切な人が居て『私は浮気は絶対しない!』とか『今日は終電で帰る!』と思っていても


「あれ?タイプw」「やばい、楽しくてしょうがない!」って目に見えることは自らの本性に簡単に従っちゃう。


本性には中々勝てません。
(私もこのパターンで何度も苦しみました)

いわゆる、人間の『性』ってやつです。

私が考えた誰でも自由になれる術

とは言っても、生きてくためには、こんなことにいつまでも負けていられないから、こんな考え方を提案してみます。

私のこの考えでは、ハッキリ言ってかなり自由になれます。

そのやり方は、


ほんと雑魚っぽいネガティブなことでも、受け入れる。

理由は単純で、

やはり人は誰でも、自分で自分の意思を決められる資格を持っているから。

ただし、補足補足があって、

上手くいくのは、自分の意思をちゃ~んと見つけた人だけ。

ちなみにこれが効くのは、今現在、強い人弱い人関係なしです。

どういうことかと言うと、最初を思い出してほしいんですが

自由(じゆう)とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていること
でしたね?

弱い人でも、強い人でも、自らの意思や本性に従ってますよね?
威圧的な態度が強い人は、「強い口調で相手をなんとかしてやろう」って意思に従い行動して、
弱い人は、「こわいから、ここは大人しくしていよう」って意思に従い行動している。

ハッキリ言ってどっちも思った通り、ちゃんと意思に従ってふるまえているわけです。
ただ、弱い人はここで

「あぁ、またこわくて何にも言えなかった。なんで自分はいつもこんなに弱いんだろう」
と否定的にとらえます。

そしてまた次も同じ感じで繰り返しますよね。

でも、自由の定義からすると、思った「意思」通りになってるんだから

「あぁ、またこわくて何にも言えなかった。なんで自分がこんなに弱いんだろう」 って思っていても良くないですか?
また次にその時が来ても、私はそう思うんだって素直に思えば、
それが否定的だろうと、自分の意思に従ってるって言えませんか?

そうやって「あッ!」「やっぱ自分が思った通りにできた」って思えばいいじゃないですか。
変に人の意見に全部流され持ってかれて、その後ブツクサ言ってる人よりも
立派に自分の意思に従えてますよ。


そんなことって思うかもしれないけれど、そんなことが最初は大事だと私は思います。

後は慣れ。めっちゃ小っちゃなこと続けたら、自分の意見言えばいいと思う。
口下手な人だとしても、「口下手になるけど自分の意思には従うぞ」って。
「口下手でうまく言えなかったって思うけどね!」って。

心の中では反発しといて、


自分は誰に何言われようと、たとえ言われたことに従おうと、

意思の自由だけは渡してない!
決定は自分でした!!
魂だけは奪われてないからこれでも自由なんだ!!!

と考えて吹き飛ばしとけばいいと思います。

それで、後はそれに慣れてきたら、一言づつでも言いたいこと言えばいいと思います。
「 最初は思い通りに行かず、必ず自分に腹が立つだろう 」
とか考えながらね。

だから、誰でも自由になれる可能性はあるし、
どんなに弱くても誰でも自由になれますよ。

現に私は、弱いからこそ自由に近づけてると思いますしね。

注意すべき点は、
相手を傷つけたり、法を犯すのと、自由は同じじゃないってこと。

さっきも言いましたけど、目に見えやすいことは引っ張られやすいので、自分が罵声を浴びせまくってたら
流石に相手も影響されて切れます。

そしたら切れた相手も罵声を浴びせてくるようになって、今度はあなたが影響を受けて切れるんですよね。
お互い傷つけあうだけで、いい方向に収まらないのでそこの理解は必要。


後は暴力で解決なんかはもってのほか。

お互い傷つく、特に相手が傷つく上に、下手したら警察に捕まってお縄です。
それこそ、牢獄と言う名の「見た目の不自由」にハマります。
ほんとに気を付けてください。

私の自由をドカンとここで言おう

ここまで書いてきたように、私が考える自由とは

どんな環境に居ようが、自分の心が保たれている状態です。

大体は、人間なんだから言いたいこと言えばいいんだよ。
どう受け取るかは相手次第なんだから。
とかですけど、大体それができなから苦労するわけで。

言い方悪いですけど、一旦自分の雑魚を受け入れる。
何回も何回も、自覚できるまで受け入れる。

慣れて一言反撃した後の、返しを食らい凹んだ雑魚な自分を受け入れる。
それを再び自覚する。

また慣れてきたら二言目みたいな。


こんな使い方です。
そうすれば安定して自分に従えるようになると思います(^^



人に言うのは簡単ですし、せっかくなので、ここで私も自由に発言しようと思います!

私の夢は

  • 両親を仕事から引退させること。
  • 自分の大切な人を、その人が行きたい場所へ私が連れて行く事。
  • 自分の行きたい国と場所を全て回ること(今のところ20ヵ国くらい)。
  • 将来自由に使えるお金と時間を作って、仕事をリタイヤすること(計算上、生涯20憶くらい)。
  • 旅行でお金を使い日本経済を良くして、日本人の暮らしを少しでも良くすること。

こんな感じです。

私が会社を辞めた理由はここにあって、真っ先に考える時間を確保したかったから。
全神経を集中して考える時間を確保して、手を付けるものを考える事ができれば
やり方次第で夢が叶うと私は信じているんです。

需要と供給が無い所で、死ぬほど頑張っても寿命が足りないぞと思って。


幸いにも、私がやっている旅行代理店業は、お金も時間も確保できる可能性を持ってる。
更に、大切な人を、好きなところに連れていくことも出来るから私はやっています。

こんな感じで、一見歯の浮くようなことを言ったので誰か知らに、ボコボコに叩かれるでしょうが
満足です。


この記事が、1人でも生きづらい人生を送っている人の役に立てれば嬉しいです。



最後まで、読んでいただきありがとうございます。






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